以前、ウワサの保護者会スペシャルで「学校に行かないという選択」という番組を観た。(2018年放送)
学校に行かない子供達からの視点で、不登校に関する問題を皆でディスカッションしていた。
リモコンを握った私の手がそのまま止まると、そのまま思わず聞き入ってしまった。。。
皆に共通していたのは、学校に行かない選択をした子供は「行かなかった」ことに罪悪感を感じている子供が多かったように感じた。
その想いで潰されそうになりながら 学童期を辛い思いで過ごすことが多くても、その先に 何かやりたいことを見つけることができて、だんだんと自分の人生を楽しめるようになった子供も参加していて、そういう自らの経験を番組内で語っていたのは頼もしかった。
そして今のような学校の授業スタイルは 何も大昔からあったものではなかったらしい。
学校生活を時間で区切って、先生の指導の通りに言われたように学んで行くというような、私達が受けてきたごくあたり前の授業スタイルの事なのだが・・・
この授業スタイルというのは、戦後 アメリカの経済等に追いつくためにも、例えば工場とかでも規則正しく、言われたことを正確に成し遂げることができる人間が大量に必要とされていた時代に、その能力をつけるためにも則していたこともあり、時間で区切り言われことを正確に早くする教育を子供達に施していたことが始まりだったとテレビでは放映されていた。
確かに言われて一歩引いて見てみると・・・学校で正しいと言われていた学業スタイルが、また違った風景にも見えてくると思う。
『先生の黒板に書かれたことを丸写しすることに何の意味があるのか?』と番組で語っていた子供がいたが、早い年代からそのことに気づいたこの子の方が、実は優れていたのかもしれない。
もちろん黒板に書いた文字を丸写しで書く方が覚えられる子供はそうしたらいいし、他の方法で覚えるから丸写しで書く必要がないと思う子供もそこには居ても良いということで・・・
むしろこのような【多様性】が学校や先生側になかったことこそが、学校生活での大きな問題だと、番組では紹介されていた。
子供が社会に出る前の学校での集団生活の中で、『とにかく皆が同じようなことを同じようにするべき』という多様性の無さは、閉塞感を一部の子供には生み出しているし、もしかすると多様なことをこれから子供達が生み出していく力も奪って行くのかもしれないなぁ。。。
ウワサの保護者会の番組では、多様性がある中で学ぶ場として、フリースクール 、ホームエデュケーション 、親の会などなど様々な取り組みが増えてきたことがあげられていて、かつて学校に行かない選択をした子供が大人に成長してから、そのような活動をしていることにも触れていた。
⭐️好きは強い→ 好きなことが軸になって、またそこから好きなことの学びに必要だと感じることを自分から見つけて学べるようになるので、まずは好きなことがあると良い
⭐️自分を認めてもらえる場があると良い→孤独感がある子供は、自分が存在する意義をそこで感じられるので
⭐️自主性が育つと強い→言われたからする、すでに誰かから用意されてるからするじゃなくて、自分からやりたくて動くというスタイルがメインになれれば良い
今日の番組を見ていて、以上の3点の意見に私は惹かれました。
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不登校や学校に馴染めないと悩んでおられる親御さんや子供さんにも、どうか【多様性がある学びの大切さ】が、もっと届きますように